自己紹介

サイト運営者プロフィール

基本情報

名前:Yuki
生年月日:1986年7月23日
性別:男
好きな食べ物:寿司、肉、アイスクリーム
趣味:筋トレ、サウナ、旅行、ファッション、呑み
家族:妻、息子3人
職歴:医療福祉関係
住まい:兵庫県

幼少期〜中学生 スポーツ大好きな少年

私は、兵庫県出身で三兄弟の長男として生まれました。

性格は長男ということもあり真面目で幼少期からスポーツ大好きで小学校3年生から野球を始めました。
ポジションはサードとピッチャー

中学校へ入っても野球漬けの楽しい日々を送っていました。

そこまで裕福な家庭ではありませんでしたが、家族5人で特に不自由はなく楽しい日々を送っていました。

高校生〜専門学校 迷走する学生生活

高校へ進学しても野球を続けましたが、入学と同時に両親が離婚します。

理由は今も謎なのですが、性格の不一致ということで母親が一方的に離婚

を父に打診します。

母親から

Yukiはどっちについて行く?

と聞かれ、目の前が真っ白になったのを今でも覚えています。

ドラマで家族の別れのシーンを見たことはありましたが、まさか自分にその決断が訪れるとは夢にも思っていませんでした。

私は父について行くことにしました。

理由は特にないのですがなんとなく父の側にいた方がいい気がしたからです。

次男も父へ、三男は母についていき新たな生活が始まります。

3人の生活は思った以上に大変で、父は慣れないお弁当を作り洗濯にと大変でした。
父は10キロぐらい痩せてしまいました。
ですが、父は不器用ながらも子供のために懸命に家事、仕事と頑張ってくれました。

私はというと
高校でも野球を続けていたのですがなぜだかだんだんとやる気がなくなっていき
高一の冬に退部します‥。

今では後悔しています‥

その後の高校生活は特に勉強することもなくバイトをして、カラオケに行ったり、友達のライブを見にいったりと学校にはいっていましたが遊んでいました。

仲の良い友達と遊ぶのは楽しかったのですが、なんとなく刺激がなくやる気の出ない日々を送っていました。
留年まではいきませんでしたが、遅刻や休みがちの日々を送ります。

高校卒業が近づき進路を決めなくてはなりません。
勉強も特にしておらず、どうしようかと考えた時に
自分の性格を振り返りました。
そこで見えてきたのは、自分のためだけならサボったり続かなかったりと適当になってしまうのですが、自然と人のためなら約束を守ったり、相手に優しくできるなと思い人のためになる職業を将来したいなと考えます。
そして考えた末、リハビリ関係の専門学校に入学します。

専門学校では高校よりもそれなりに勉強し資格を取得しました。
ですがなんとなく小中学校の時のような活気はなく、それなりに楽しいぐらいの感じでした。

そして、就職は病院が経営するデイサービス(介護施設)に入職します。

21歳〜33歳 夢中になれること

私が就職したのは、小さな会社で介護職の社員が一人しかいない個人医院の経営するデイサービスでした。

就職前の春休み。
2月後半に医院長から電話がかかってきます。

「先輩の社員が3月末で辞めることになった。明日からフルで出勤して
業務を引き継いでもらえないか?
4月から一人で請け負ってほしい。」

私は両親の離婚の時の様に目の前が真っ白になりました。

新卒の私が1ヶ月ちょっとで引き継いで全てを運営するなんて‥。

断ろうと一瞬思いましたが

ここで逃げたらカッコ悪いよな‥

少しばかり、野球部魂がまだ残っていたようで

医院長に

「わかりました。明日から出勤します。」

と伝える。

今思うとその決断が人生のターニングポイントだったと思います。

それから、始めての事だらけで大変でしたが、アルバイトの方や医院長に支えながらなんとか業務を覚えます。
また、睡眠時間確保のため会社の寮に住み朝から晩まで懸命に働きました。

お恥ずかしい話ですが一人で遅くまで残ることが多く一回だけ辛くて泣いてしまいました‥

そして半年ぐらいでなんとか形になり落ち着いていきます。
辛くて逃げ出したい時もありましたが、日に日に自分の戦闘力が上がっている事を実感し
楽しくなってきます。

そして私はこう思うようになります。

もっと仕事を覚えて出世して稼ぎたいと。

そして仕事って面白い

と。

小中学校で野球をしていた時のように夢中になれる感覚が仕事によって蘇りました。

それから色々とありましたが10年間その会社にお世話になりました。
その間で新店舗の施設長になったりと入職時と比べ年収が3倍以上まで昇給できました。

初任給は手取りで13万でした‥。笑 今振り返ると最初はブラック企業でしたね

私は6.7年目あたりから医療福祉業界の年収には限界がある。
もう少し収入を上げたいと思うようになります。
元々経営者の直下という環境もあり自分で独立したいという願望が芽生えます。

店舗の新規立ち上げ
利用者の集客
人材採用
職員30名ほどのマネジメント
新人教育
売上管理
など色々と経験しました。

ですが、介護業界への参入はハードルが高いと考えました。
理由はまず店舗を開設時に運転資金が結構必要なことと
一番の理由は慢性的な人材不足です。
採用担当していましたが、なかなか人は集まらず人のやりくりが大変でした。
人材紹介会社には数百万支払い人材を入れますがすぐに辞めてしまうといったことも多かったです。

の時はいつも経営者から私への八つ当たりが凄かった‥笑

極端な表現ですがこの業界は将来資本ゲームになっていくなと直感的に思い、介護業界は選択肢に入れませんでした。
じゃあどうする、というところでかなり迷いました。

そのまま独立するか、それとも転職するか。
私は営業会社へ転職し売る力を身につけることで独立の選択肢を増やすことができると考え、大阪のベンチャー会社へ転職します。

ただ踏み切るのに3年かかりました‥。10年もいると踏み切るのに覚悟が入るものです笑

営業職は
慣れないスーツ、テレアポ、商談
疲労感はありましたが日々充実感はありました。

34歳〜病気を踏み台に独立

 

ある日、東京出張があり別会社へのテレアポの研修に行きます。

1週間で毎日数百件の修行みたいな期間でした。

夕方頃になると呂律が回らなくてカミカミでした笑

研修最終日の前日の夜、秋葉原の油そばを一人で食べに行きました。

ですがなぜか、そばを吸おうと思っても吸えません。

なんとか食べ、疲れてるのかなと気にせず次の日の朝を迎えます。

次の日、鏡を見ると

自分の右の顔が動いていないことに気づきます‥。

やばい、これはなんかの病気だ。
研修日最後は気合いで乗り切り、次の日地元の脳外科医へ行きます。

医者から
右の顔面麻痺です。今すぐ大きな病院を紹介するので行ってください
と言われ、すぐに病院へ行きます。

その後、会社を休みステロイド投与の治療を受けましたが、一向に治る気配はなく顔はどんどん曲がり、飲み物はストローでしか飲めず、瞬きができないので絆創膏を貼って夜は眠ります。
会社は有給で休んでいましたが、使い果たしとうとう休職することになってしまいます‥。
そして状態は改善せず休職期間の1ヶ月が過ぎ退職することとなります‥。

私は絶望しました。

学生時代はやる気のない人間、そして働いてから仕事の楽しさを知り日々成長することの喜びを覚え夢を持ってチャレンジしてきました。

ですが
転職の選択肢は失敗だったのか。
前職で大人しく続けていくのが正解だったのか
妻、子供3人、住宅ローンどうしよう‥
転職するにもこの顔で面接に行けないしな‥

そういう時は色々とネガティブな事を考えてしまいます‥。
悔しくてたまりませんでした。

私はこれからの人生どうしようか真剣に考えました。
考えたのは、
この病気になって良かったと思える未来にする
しか前向きになれる方法はないなと考えました。

私は完治後、転職した事を想像しました。
転職だと何度考えても
病気しなかったらどうなってたんだろうと思いながら仕事しているイメージしかつきませんでした。つまり過去を引きずりながら毎日を過ごしていく。
これは幸せな人生とは言えません。

私は決断します。

このまま独立しよう

これしかないと考えました。
独立してうまくいけば病気になって良かったと思えるはず。
これ以外、選択肢はないなと考えます。

正直かなり背伸びをした決断で内心はビビっていました笑

ただ私には家族がいます。
妻と子供三人‥。
自分勝手には決められません。

曲がった顔で恐る恐る妻に相談しにいきます。

私 「このまま転職せずに独立したいんだけど‥。」

妻  「いいよ、私も手伝うよ!」
意外な返事で驚きました。

今思うと妻の協力が一番大きかったですね

色々と考えた末、越境ECで独立します。

独立後、半年ぐらい大変であまり覚えていませんが、なんとかサラリーマン以上の月収を超えることに成功します。

新たな挑戦

 

そして独立して2年が過ぎ、ECを通じてメーカー様や色々な会社様と繋がりを持つようになります。

会社の抱えている悩みで多いのが
売上を上げたい
集客をどうしたらいいか。
人がいない。
という相談をされることがよくあります。

ですが、越境ECだけでは限界があり、
話を聞くことしかできず歯痒く思うことが多くなります。

その頃からなんとか自分の力で他社の悩みを解決し
手助けができないだろうか‥。
と思うようになります。

何かこの問題を解決する方法はないか、色々と調べていたところ
WEBでの集客が最も効率よく、コストもかからずできる事を知ります。
ただ一言でWEBマーケと言ってもさまざまなジャンルがあるのでどこから手をつければいいのかわかりません。

そこで出会ったのがあるオンラインサロンです。

サロン内にWEBマーケティング担当の方がおり、
説明がホントわかりやすい先生で
話し方や自信に満ちた様を見てこの方は本間もんのマーケターだなとすぐにわかりました。

そして運よくスクールが開設され、入会することができました。
初心者で、WEBマーケの本質的な学びを行いながら実際に手をしっかり動かしてスキルを向上していく。
ざっくりこのようなスタイルで今学んでいます。

私はECを続けながらWEBマーケテイングスキルを習得し、1年後に困っている会社様の
手助けをするのを今の目標にしています。

最後に

あなたは今、充実した毎日を送れていますか?
毎日惰性で生きていませんか?

私は毎日充実した毎日を送れています。

これだけ人生が充実するとは学生時代には夢にも思っていませんでした。
野球をやめてからはやる気のない学生で、何か取り組んでもすぐに辞めてしまうような人でした。
私は、仕事がきっかけで色々と変わりました。
そして病気をしてまた身も心も大きくなりました。

副業したいけど何をしたらいいのかわからない。
新しく取り組んでも続ける自信がない
今の仕事が忙しいので時間がない

そう思われている方が多いと思います。

私はそのように悩んでいる方の近道になれるような情報を発信していきたい。
私みたいにリスクのあるやり方ではなくしっかりと計画を立てて進めてほしい。
そんな想いから

30代ゼロらかWEBマーケを学び
1年後30万、2年後100万を目指す

ブログを発信していきます。

ぜひWEBマーケティングに興味を持ち
取り組んでいただければと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。